スタッフから給与の前払いを頼まれたとき、出産・病気・災害・結婚・死亡・1週間以上の帰郷といった非常の場合の費用に充てる請求なら、店は給料日の前でも、すでに働いた分の賃金を払わなければなりません(労働基準法第25条、同法施行規則第9条)。それ以外の前払いや、まだ働いていない分のお金を渡すことは店の任意で、貸付にするなら契約書を作り、給与から返済分を差し引くには書面の労使協定が必要です(同法第24条)。
頼まれた理由と金額ごとの判断表、前払いをした月の給料日の明細の試算、社内貸付の書面と天引き、給与前払いサービスの注意、つまずく点、そのまま使える申請書・規程・断り方の文例を整理します(2026年10月時点の情報です)。
結論:給与の前払いを頼まれたときの早見表
判断の分かれ目は、「非常の場合か」「すでに働いた分か」「貸付か」の3つです。ルールを先に一覧にします。
| 項目 | 目安・ルール | 根拠・理由 |
|---|---|---|
| 非常時払い(店の義務) | 本人や生計を維持している家族の出産・病気・災害、結婚・死亡、やむを得ない1週間以上の帰郷の費用に充てる請求 | 労働基準法第25条、同法施行規則第9条 |
| 非常時払いで払う範囲 | すでに働いた分(既往の労働)の賃金 | まだ働いていない分を払う義務はない |
| 非常時以外の前払い | 応じるかは店の任意。ルールを決めて全員に同じ基準で対応する | 働いた分を早く払うだけなら貸付ではない |
| まだ働いていない分を渡す | 社内貸付として、金銭消費貸借契約書を作る | 返済の方法と退職時の扱いを決めておく |
| 前貸しと賃金の相殺 | 働くことを条件にした前貸しと賃金を相殺してはいけない | 労働基準法第17条 |
| 給与からの天引き返済 | 書面の労使協定(賃金控除協定)と本人の同意が必要 | 労働基準法第24条第1項ただし書 |
| 無利息・低利の貸付 | 利息の差額が年5,000円以下などの条件に当たらなければ、給与として課税される | 国税庁タックスアンサーNo.2606 |
| 給与ファクタリング | 賃金債権の買取りは貸金業に当たり、無登録業者は違法なヤミ金融 | 金融庁の注意喚起 |
毎月の給与の締め日・支払日と控除の計算は美容室の給与計算のやり方で扱っています。この記事は、給料日より前に払う場面に絞ります。
非常時払いとは — 非常の場合に、すでに働いた分を給料日前に払う義務
非常時払いとは、労働者が出産、疾病、災害などの非常の場合の費用に充てるために請求したとき、使用者が支払期日の前でも、すでに働いた分の賃金を支払わなければならないという労働基準法第25条のルールのことです。正社員だけでなく、パート・アルバイトにも当てはまり、対象は本人と、本人の収入で生計を維持している人の出産・病気・災害・結婚・死亡、やむを得ない事由による1週間以上の帰郷です。
払うのは、まだ支払っていない、すでに働いた分の賃金すべてです。当月払いの店なら前の締め日の翌日から請求の日まで、末締め・翌月払いの店なら締めが済んでまだ払っていない前月分も含みます。月給制は日割り、時給制は働いた時間分、歩合給はその時点で確定している売上で計算します。日割りの方法(所定労働日数で割るか、暦日数で割るか)は、賃金規程の欠勤控除の計算方法にそろえます。出産を理由とする請求なら、産前産後に使える給付や休業の手続きも案内すると本人の資金計画に役立ちます(美容室の産休・育休対応)。
頼まれたらどうするか — 理由と金額ごとの判断表
依頼の理由が非常の場合に当たるか、求められた額がすでに働いた分を超えるかの2点で、対応はほぼ決まります。その場で答えを出せるよう、次の表を手元に置いておきます。
| 依頼の内容 | 対応 | 上限・条件 |
|---|---|---|
| 出産・病気・災害・結婚・死亡・1週間以上の帰郷の費用(本人か生計を維持している家族) | 非常時払い。拒めない | すでに働いた分の全額まで。手数料は取らない |
| 生活費の不足、引っ越し、車の修理など | 任意の前払い。規程に条件があればその範囲で応じる | 例:すでに働いた分の7割まで、月1回まで、申請から3営業日後に振込 |
| すでに働いた分を超える額を求められた | 社内貸付として契約書を作るか、断る | 返済は手取りで生活できる額に。退職を縛る条件にしない |
| 毎月のように前払いを求められる | 規程の回数の範囲で応じつつ、面談で収入と支出の見通しを一緒に整理する | 同じ人に例外を重ねない |
| 退職が決まっている人からの依頼 | すでに働いた分の前払いにとどめる | 貸付は返済の途中で退職日が来るため避ける |
| 給与を買い取る業者を使っている様子がある | 違法なヤミ金融の可能性を伝え、公的な相談先を案内する | 業者からの問い合わせに本人の情報を伝えない |
任意の前払いを認めるなら、条件を賃金規程に書き、特定のスタッフだけを優遇しないようにします。頼まれるたびにオーナーが判断すると、不公平感やトラブルのもとになります。規程の入れ方は美容室に就業規則は必要かで確認してください。
試算:前払いをした月の給料日 — 全額払うと手取りはいくら残るか
次の前提では、すでに働いた分226,000円を全額前払いすると、給料日に残る額は社会保険料を引いた時点で48,185円で、ここから所得税と住民税を引きます。7割の158,200円にとどめれば、残る額は115,985円です。任意の前払いに上限を設けるのは、給料日に法定の控除を確実に引けるようにするためです。
試算の前提(仮定):20日締め・当月25日払いの店。月給220,000円(基本給200,000円+技術手当20,000円)、歩合給は技術売上の10%、通勤手当なし。その期間の所定労働日数22日。11月15日に請求があり、10月21日〜11月15日の出勤17日、技術売上560,000円。期間全体の技術売上は980,000円。社会保険は協会けんぽ東京支部で標準報酬月額300,000円、40歳未満。
| 項目 | 全額を前払いした場合 | 7割を前払いした場合 |
|---|---|---|
| すでに働いた分(11月15日時点) | 220,000円÷22日×17日+560,000円×10%=226,000円 | 同じ |
| 11月15日の前払い額 | 226,000円 | 226,000円×70%=158,200円 |
| 11月25日の総支給額 | 220,000円+980,000円×10%=318,000円 | 同じ |
| 社会保険料・雇用保険料 | 健康保険14,775円+厚生年金27,450円+雇用保険1,590円=43,815円 | 同じ |
| 控除欄の「前払金」 | 226,000円 | 158,200円 |
| 所得税・住民税を引く前の差引額 | 318,000−43,815−226,000=48,185円 | 318,000−43,815−158,200=115,985円 |
前払いした額は賃金台帳と給与明細に「前払金」として記録し、給料日にはその期間の賃金から前払い分を除いた残りを払います。前払いの時点での源泉徴収の扱いは、給与計算ソフトの設定とあわせて税理士に確認します。国税庁の通達は、支給総額が確定する前に支払う給与について、後の支払いの際に累計額で税額を計算し直し、それまでに徴収した税額を差し引く考え方を示しています。
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社内貸付にする場合 — 前借金相殺の禁止と給与天引きの労使協定
まだ働いていない分のお金を渡すなら、金額・返済方法・利息を書いた金銭消費貸借契約書を作ります。給与から返済分を差し引くには書面の労使協定と本人の同意が必要で、働くことを条件にした前貸しと賃金を相殺することは労働基準法第17条で禁止されています。
「返し終わるまで辞められない」「辞めるなら残りを最後の給料から全部差し引く」のように、貸したお金でスタッフを店に縛る形は、前借金と賃金の相殺の禁止や、強制労働の禁止に触れるおそれがあります。生活資金の貸付で、返済が本人の自由な意思に任され、辞める自由を縛らない形にしておくことが前提です。
社内貸付の契約書と賃金控除協定に書くこと(例:300,000円を12回で返済)
- 契約書:貸付日2026年11月20日、金額300,000円、無利息、2026年12月から2027年11月まで毎月25日支給の給与から25,000円を控除して返済(12回)
- 契約書:本人の申し出により、指定口座への振込で繰上げ返済できる
- 契約書:退職したときの残額は、本人と話し合って分割での返済を続けるか一括で返すかを決める。最終の給与からの控除は、その時点で本人が書面で同意した額に限る
- 契約書:日付と双方の署名。返済予定表(回ごとの返済額と残額)を本人に渡す
- 賃金控除協定:店と労働者の過半数代表者の間で、控除する項目(社内貸付金の返済、給与の前払金、前払いサービスの利用額と手数料など)と控除の時期(毎月の給与支払日)を書面で定める。労働基準監督署への届出は不要で、店で保管する
利息をとらない、または低い利率で貸す場合は、税金にも注意します。国税庁によると、①災害や病気などで臨時に多額の生活資金が必要になった人に合理的な金額・期間で貸す場合、②会社の借入金の平均調達金利など合理的な利率で貸す場合、③それ以外で、基準となる利率で計算した利息と実際の利息との差額が1年間で5,000円以下の場合は、給与として課税されません。どれにも当たらなければ、利息の差額が給与として課税されます。
給与前払いサービスを使う前に — 仕組み・手数料・天引きを確かめる
給与前払いサービスとは、働いた分の賃金の一部を、給料日前にスタッフがスマートフォンなどから申請して受け取れるようにする外部のサービスのことです。依頼が年に数回しかない店は、規程に条件を書いて店が直接払うほうが手間も費用もかかりません。依頼が毎月のように複数あり、勤怠アプリで働いた時間を毎日確定できている店なら、導入を比べる意味があります。
- お金の流れ:店の口座からスタッフに払う型と、運営会社が立て替えて後で店が精算する型があります。資金繰りへの影響と、運営会社が支払えなくなった場合の扱いを確認します。
- 手数料の負担:スタッフが負担する場合、1回ごとの手数料は少額でも、使う回数が増えると負担が積み上がります。店が負担するなら福利厚生として求人で伝えられます。
- 給与からの控除と上限:前払い額や手数料を給与から差し引くなら賃金控除協定に項目を入れ、働いた分の一定割合まで・月の回数までのように上限を決めます。
- 個人情報:勤怠や給与のデータを運営会社に渡すことになるため、取り扱いの条件をスタッフに説明します。
「給料を買い取る」とうたう給与ファクタリングについて、金融庁は、労働者の賃金債権を業として買い取り、本人を通じて回収することは貸金業に当たり、登録のない業者は違法なヤミ金融だとしています。スタッフが利用していると、高額な手数料や勤務先への連絡などの被害につながるおそれがあります。気づいたら、金融庁の金融サービス利用者相談室、消費者ホットライン(188)、警察相談専用電話(#9110)を案内します。
前払いの実務でつまずく点 — 前月分の扱い・控除不足・記録
前払いのトラブルは、払う額の数え方と、給料日の控除の段階で起きます。次の5つは、最初の依頼が来る前に決めておきます。
- 翌月払いの店で、締め済みの前月分を非常時払いから外す:まだ払っていない既往の労働の賃金はすべて対象です。防ぎ方:判断表の横に「締め済み・未払いの前月分を含む」と書いておきます。
- 給料日に社会保険料や税金を引けなくなる:上の試算のように、全額を前払いすると給料日の残りが少なくなります。防ぎ方:任意の前払いは7割までのように上限を決め、非常時払いで全額払うときは給料日の控除の見込み額を本人に伝えておきます。
- 歩合の売上が確定していない:返金ややり直しで売上が変わることがあります。防ぎ方:歩合給は「請求の日の前日までにレジで確定した売上」で計算すると規程に書きます。
- 現金で渡して記録が残らない:防ぎ方:振込で払い、申請書と振込記録を保管し、賃金台帳と給与明細に「前払金」として載せます。
- 控除の労使協定がないまま天引きする:前払金や貸付の返済を給与から引くには、書面の賃金控除協定が必要です。防ぎ方:協定の控除項目に「前払金」「社内貸付金の返済」を入れてから運用を始めます。
そのまま使える申請書・規程の条文・断り方の例
前払いは、申請書で理由と金額を受け取り、規程の条件で判断し、断るときは理由と次の給料日を落ち着いて伝える、の順に進めます。次の文例は、日付と金額を置き換えればそのまま使えます。
前払いの申請書の項目と、賃金規程の条文例
- 申請書:申請日、氏名、希望する額と受取日、理由(出産・病気・災害・結婚・死亡・1週間以上の帰郷/その他)、対象者(本人・家族の続柄)、受取口座、「前払いした額は給料日の支給額から差し引かれることに同意します」の署名
- 第25条(非常時払い) 従業員またはその収入によって生計を維持する者の出産、疾病、災害、結婚、死亡、やむを得ない事由による1週間以上の帰郷の費用に充てるため請求があったときは、賃金支払日の前であっても、既往の労働に対する賃金を支払う。
- 第26条(任意の前払い) 前条以外の理由による請求は、月1回に限り、請求日の前日までの既往の労働に対する賃金の70%を上限として、請求日から3営業日以内に支払う。歩合給は請求日の前日までに確定した売上により計算する。
- 第27条(控除) 前2条により支払った額は、当該賃金計算期間の賃金から前払金として控除する。
断るとき・ほかの支援先を示すときの伝え方の例
- 「前払いは、店のルールで出産や病気などの場合と、働いた分の7割まで月1回に限っています。今月はすでに1回使っているので、次の給料日の25日まで待ってください。」
- 「生活費のことで困っているなら、市区町村の社会福祉協議会で生活資金の貸付の相談ができます。必要なら窓口を一緒に調べます。」
- 「借りたお金の返済で困っているなら、法テラス(日本司法支援センター)で無料の法律相談を受けられる場合があります。」
- 「収入を増やしたいという相談なら、来月のシフトや担当の割り振りで何ができるか、面談で一緒に考えましょう。」
オーナーが個人のお金を貸すと、返済が滞ったときに雇用の関係までこじれやすくなります。前払いの相談が続くスタッフとは、面談で働き方や収入の見通しを一緒に整理するほうが根本の解決につながります(美容室のスタッフ面談のやり方)。
前払いの依頼に答える前に、次の8項目を確認してください。
- 依頼の理由が、法律の非常の場合(出産・病気・災害・結婚・死亡・1週間以上の帰郷)に当たるかを確かめた
- 非常時払いなら、締め済みで未払いの前月分を含めて、すでに働いた分を計算した
- 給料日に社会保険料・税金を引いた後の残りを試算した
- 前払いした額を賃金台帳と給与明細に「前払金」として記録する
- 任意の前払いの条件(回数・上限・支払日・歩合の計算)を賃金規程に書いている
- 前貸しにする場合は、金銭消費貸借契約書と返済予定表を作った
- 前払金や返済を給与から差し引くための労使協定がある
- 退職を縛る返済の条件になっていない
よくある質問
非常時払いの請求を断ることはできますか?
出産・病気・災害などの非常の場合の費用に充てる請求であれば、すでに働いた分の支払いを断れません。断ると労働基準法違反となり、30万円以下の罰金の対象になります。
非常時払いで、まだ働いていない分まで払う必要はありますか?
ありません。非常時払いで払う義務があるのは、すでに働いた分の賃金だけです。それを超えて渡す場合は、社内貸付として契約書を作って対応します。
前払いのたびに手数料を差し引いてもよいですか?
非常時払いは法律上の義務なので、手数料を差し引くのは避けます。任意の前払いで手数料を差し引く場合も、賃金から控除するには労使協定が必要で、金額と条件を賃金規程に書いておきます。
貸したお金の残りを、最後の給与から全額差し引いてもよいですか?
一方的に差し引くことはできません。労使協定があり、その時点で本人が自由な意思で書面に同意した場合に限って差し引くようにし、退職を理由に一括返済を迫ることも避けます。
スタッフが給与ファクタリングを使っているようです。店はどうすればよいですか?
本人に、賃金債権の買取りをうたう業者は違法なヤミ金融の可能性があることを伝え、金融庁の相談室や消費者ホットライン(188)などの相談先を案内します。業者から店に連絡が来ても、本人の同意なく個人情報を伝えないようにします。
出典:労働基準法第17条・第24条・第25条・第120条(e-Gov法令検索「労働基準法」)、労働基準法施行規則第9条(e-Gov法令検索「労働基準法施行規則」)、国税庁タックスアンサー「No.2606 金銭を無利息又は低い金利で貸し付けたとき」、国税庁「所得税基本通達183〜193共関係」、金融庁「給与の買取りをうたった違法なヤミ金融にご注意ください!」、協会けんぽ東京支部「2026年度の健康保険料率等について」。個別の判断は社会保険労務士や税理士に確認してください。
まずは上の条文例を店の締め日・支払日に合わせて賃金規程に書き、賃金控除協定に「前払金」を加えることから始めてください。給与以外でスタッフの生活を支える制度の選び方は美容室の福利厚生の作り方で確認できます。
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