「〇年以内に辞めたら研修費を返す」という約束は、店の業務として受けさせた研修や社内の技術指導については労働基準法第16条の違約金にあたると判断されやすく、返還を求めることはできません。返還が認められる余地があるのは、本人の自由な意思で受ける外部講習の費用を店が貸し付け、金額・返済方法・勤続による免除を受講前に書面で合意した場合に限られます。
店の状況別の判断表、返還額と店が負う育成費の試算、そのまま使える貸付契約書と誓約書の撤回通知、現場でつまずく点を整理します(2026年10月時点の情報です)。
結論:研修費の返還ルールが有効かどうかの早見表
分かれ目は、その研修が店の業務か、本人の希望による自己啓発かです。
| 費用の種類 | 返還を求められるか | 判断のポイント |
|---|---|---|
| 店のレッスン・営業後の練習会・技術カリキュラム | 求められない | 店の業務としての教育で、店が負担すべき費用 |
| 店が受講を指示した外部講習・メーカー講習 | 求められない可能性が高い | 業務命令で受けさせたものは業務の一部 |
| 練習用ウィッグ・マネキン | 店の指示で使うものは店の負担が原則 | 本人負担にするなら就業規則に定める(労働基準法第89条第5号) |
| 本人が希望した外部スクール・資格講座 | 貸付の形にしていれば、返済を求められる余地がある | 金額・返済方法・免除の条件を受講前に書面で合意 |
| 学費の補助(給付) | 給付した後で返還を求めるのは難しい | 返済を求めるなら最初から貸付として合意する |
| 「辞めたら一律〇万円」の約束 | 求められない | 違約金の定めにあたる(労働基準法第16条) |
自分の店はどうするか — 状況別の判断表
「誰が受講を決めたか」「他店でも通用する内容か」「受講前に貸付の書面があるか」の3点で、払う・補助する・貸すが決まります。
| 状況 | 判断 | やること |
|---|---|---|
| 入社時の誓約書に「〇年以内に辞めたら研修費〇万円」とある | 店の研修分は無効とされやすい | 条項を撤回する通知を全員に出し、教育訓練の規程に差し替える |
| 退職者に店の技術カリキュラム分の返還を求めている | 求められない | 請求をやめる。受け取った分の扱いは専門家に相談する |
| 店が受講を決めたメーカー講習・新メニューの講習 | 店の負担。受講時間は労働時間 | 研修費として店が払い、受講時間の賃金も払う |
| 本人の希望で、業務との関係が薄く金額も小さい講習 | 一部補助(給付)が向く | 補助の上限額と対象を規程で決め、返還は求めない |
| 本人の希望で、他店でも通用する資格・長期のスクール、受講料が高額 | 貸付にできる余地がある | 受講前に貸付契約を結び、免除期間は金額と内容に見合う長さにする |
| 受講は「希望制」だが、受けないとデビューできない | 実質的には店の指示(業務性あり) | 店の負担に切り替える。貸付にはしない |
| 貸付契約があるスタッフが免除期間の途中で退職する | 契約どおりに残額を求められる余地がある | 月数を契約の数え方で出し、残額通知を書面で渡して分割にも応じる |
「辞めたら研修費を返す」が無効になる理由 — 労働基準法第16条と3つの判断要素
労働基準法第16条は、労働契約の不履行について違約金を定めたり、損害賠償額を予定したりする契約を禁止しています。研修費の返還の約束が、実質的に退職の足止めとして働くなら、この違約金にあたると判断されます。研修費や留学費用の返還をめぐる裁判例には有効とした例と無効とした例の両方があり、次の3つを総合して判断されています。
- 業務性:受講が本人の自由な意思か、業務命令か。研修の内容が店の業務とどれだけ関係するか。店の支出が本人への貸付金といえるか。
- 免除基準の合理性:返済が免除される条件がはっきりしているか。免除までの勤務期間が長すぎないか。
- 返還額の相当性:返還額が実際にかかった費用の範囲内か。勤めた期間に応じて減る仕組みがあるか。
美容室の見習いの講習について、退職時に講習手数料を払わせる約束が争われた裁判例もあります(サロン・ド・リリー講習手数料請求事件・浦和地裁昭和61年5月30日判決)。アシスタントの育成は店の業務そのものと考えるのが基本です。見習い期間の給与を低めにしてその分を研修費にあてることもできず、給与は最低賃金以上を払う必要があります(最低賃金法第4条)。
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返還額と店が負う育成費を数字で出す — 貸付の残額と営業後レッスンの試算
次のモデルでは、貸付36万円の残額は修了から5か月で辞めた場合285,000円、店の指示による営業後レッスンの費用は2年で816,000円になります。後者は店の業務としての教育費で、返還の対象にはできません。
試算の前提(仮定):(1)本人の希望で受講する外部スクールの受講料360,000円を貸付。修了日2027年3月31日、修了後24か月の勤務で全額免除、勤務1か月ごとに24分の1を免除、1か月未満の端数は切り捨て。2027年9月15日に退職。(2)アシスタントの営業後レッスンを店の指示で週2回・各2時間、月4週で計算。レッスンは1日8時間を超えた時間帯のため時間外労働。時給換算1,400円、割増率25%。練習用ウィッグは店の負担で月2体、1体3,000円とした計算上の数字。
| 項目 | 計算 | 結果 |
|---|---|---|
| (1)修了後の勤務月数 | 2027年4月1日〜8月31日の5か月+9月1〜15日(1か月未満は切り捨て) | 5か月 |
| (1)返済が残る額 | 360,000円×(24−5)÷24 | 285,000円 |
| (1)端数を「1か月」と数える契約だった場合 | 360,000円×(24−6)÷24 | 270,000円(数え方で15,000円の差) |
| (1)修了後24か月以上で退職 | 全額免除 | 0円 |
| (2)月のレッスン時間 | 2時間×週2回×4週 | 16時間 |
| (2)月のレッスンの賃金 | 1,400円×1.25×16時間 | 28,000円 |
| (2)月の練習用品 | 3,000円×2体 | 6,000円 |
| (2)2年間の育成費 | (28,000円+6,000円)×24か月 | 816,000円(店の負担。返還の対象外) |
レッスンが店の指示によるなら、その時間は労働時間で、1日8時間を超える部分は割増賃金と36協定が必要です。線引きは美容室の練習時間は労働時間か、育成の段階と期間の組み方はスタイリストデビューまでの期間で確認できます。
貸付にするときの条件 — 受講前に5つを決める
返還を求める余地があるのは、本人が自分の希望で受ける外部講習の費用を「貸す」形にし、条件を受講前に書面で合意した場合です。給付した後で「辞めたから返して」と求めることはできません。
-
受講が本人の希望であることを確かめる
店が受講を命じない、受けなくても評価・デビュー・配置で不利にしない、という形にします。
-
貸付の対象を絞る
店の業務に直接必要な講習は店が全額を負担します。貸付は、他店でも通用する資格やスクールなど、本人のキャリアの性格が強いものに限ります。
-
金額は実費、返済方法と利息を決める
貸付額は受講料などの実費を上限にし、講師の人件費や研修中の給与は含めません。一括・分割の別と利息の有無を書きます。
-
免除の条件と月数の数え方を決める
勤続に応じて返済額が減る仕組みにし、起算日と1か月未満の端数の扱いまで書きます。期間が長いほど足止めの性格が強くなるため、内容と金額に見合った長さにとどめます。
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退職時の返済方法を決める
給与との相殺はしないと書き、返済は給与とは別に受け取ります。
そのまま使える書面 — 貸付契約書と誓約書の撤回通知
貸付契約書は受講の申込み前に結び、誓約書の撤回通知は今いるスタッフ全員に渡します。〇〇の部分を店の情報に置き換えて使ってください。
例文 研修費用貸付契約書
- 第1条(貸付)株式会社〇〇(以下「甲」)は、〇〇〇〇(以下「乙」)が乙の希望により受講する〇〇スクール〇〇コース(受講期間:2026年〇月〇日〜2027年3月31日)の受講料として、金360,000円を乙に貸し付け、乙はこれを借り受ける。甲は、この金額を乙に代わって〇〇スクールに直接支払う。
- 第2条(任意の受講)本講座の受講は乙の自由な意思によるものであり、甲は乙に受講を命じない。乙が受講しないこと、又は受講を中止したことを理由に、甲は乙の評価、昇格、配置で不利益な取扱いをしない。受講の時間は労働時間として扱わず、甲の業務に従事させない。
- 第3条(返済の免除)乙が本講座の修了日の翌日以降も甲に勤務した場合、勤務1か月ごとに貸付金の24分の1の返済を免除し、24か月勤務したときは残額の全部を免除する。勤務した月数は修了日の翌日から暦に従って数え、1か月に満たない端数は切り捨てる。
- 第4条(返済)乙が前条による全額の免除の前に退職したときは、免除されていない残額を、退職日の翌月末日から毎月〇円ずつ、乙が指定する方法で甲に返済する。利息は付さない。
- 第5条(相殺の禁止)甲は、本貸付金を乙の賃金、退職金その他甲が乙に支払う金銭と相殺しない。
- 第6条(返済を求めない場合)甲の都合による解雇、退職勧奨による退職、業務上の傷病による退職の場合は、残額の全部を免除する。
- 第7条(受講の中止)乙がやむを得ない事情で受講を中止したときは、甲乙が協議して返済額と方法を定める。
- 2026年〇月〇日 甲 株式会社〇〇 代表取締役 〇〇(署名) 乙 〇〇〇〇(署名)
例文 誓約書の研修費条項を撤回する通知と、退職時の残額通知
- 撤回通知:スタッフの皆さまへ 入社時にご提出いただいた誓約書のうち「〇年以内に退職した場合は研修費として〇円を支払う」とする条項は、本日をもって撤回し、今後この条項に基づく請求は一切行いません。店が受講を指示する研修・講習・レッスンの費用は店が負担し、その時間は労働時間として扱います。2026年〇月〇日 株式会社〇〇 代表取締役 〇〇
- 残額通知:〇〇〇〇様 2026年〇月〇日付の研修費用貸付契約に基づき、2027年3月31日の修了から2027年9月15日の退職までの勤務月数5か月分を免除し、返済が残る額は285,000円となります。契約第4条のとおり、2027年10月末日から毎月〇円ずつのご返済をお願いします。返済方法の相談がある場合は〇月〇日までにご連絡ください。
現場でつまずく点 — 5つの落とし穴と防ぎ方
貸付の形を取っていても、運用が契約と違えば足止めのための返還と見られます。
- 「希望制」なのに受けないとデビューできない:実質的に店の指示で、業務性があると判断されやすくなります。デビューの条件から外すか、店の負担に切り替えます。
- 月数の数え方を契約に書いていない:試算のように数え方で残額が変わり、もめる原因になります。起算日と端数の扱いを契約書に書きます。
- 受講が始まってから貸付契約を結ぶ:本人が断れない状況での合意になります。申込みの前に説明し、署名をもらいます。
- 最後の給与から残額を差し引く:賃金の全額払い(労働基準法第24条)や、労働することを条件とする前貸しの債権と賃金の相殺の禁止(第17条)に反するおそれがあります。返済は給与とは別に受け取ります。
- 退職の申出を受けてから返済の話を持ち出す:退職の撤回を求める材料にすると、足止めと受け取られます。残額通知は退職日が決まってから契約どおりに出します。
期限を過ぎても返済されない場合は書面で督促し、それでも応じなければ、金額によっては簡易裁判所の少額訴訟(60万円以下の金銭の支払いを求める手続き)などを検討します。手続きの前に、契約が有効といえるかを弁護士に相談します。研修費の勘定科目は本・セミナー代は経費になるか、外部講習に使える国の制度は補助金・助成金の一覧で確認できます。返済を免除した額の税務上の扱いは税理士に確認してください。
就業規則に書いておくこと — 教育訓練と費用負担の条文例
店が受けさせる研修の費用は店が負担すること、本人負担にするものと貸付の扱いを就業規則に書き、入社時に説明します。職業訓練について定めをする場合は就業規則に記載する必要があります(労働基準法第89条第7号)。
規定例 教育訓練と費用負担
- 第〇条(教育訓練)会社は、業務に必要な知識・技能を高めるため、従業員に教育訓練を行う。会社が受講を命じた教育訓練の費用は会社が負担し、その時間は労働時間として扱う。
- 第〇条(自己啓発の支援)従業員が自らの希望により外部の講習等を受講する場合、会社は審査のうえ、受講料の一部を補助し、又は別に定める貸付契約により貸し付けることがある。補助した費用の返還は求めない。貸付の条件は、受講の申込み前に個別の契約書で定める。
- 第〇条(練習用品)会社が指示する練習に用いるウィッグ等は会社が支給する。会社が支給するもの以外を従業員が自らの判断で購入する場合は、従業員の負担とする。
就業規則の作成と周知の手順は美容室に就業規則は必要かで整理しています。
研修費の返還ルールを作る前に、次の8項目を確認してください。
- 誓約書や雇用契約書に「辞めたら研修費を返す」条項があれば、撤回の通知を出した
- 店の指示による研修・レッスンの時間を労働時間として扱い、賃金を払っている
- 貸付にする講習は本人の希望によるもので、受けなくてもデビューや評価に影響しない
- 貸付額は受講料などの実費で、講師の人件費や研修中の給与を含めていない
- 貸付契約は受講の申込み前に結んでいる
- 免除の条件に、起算日と1か月未満の端数の扱いまで書いている
- 退職時の返済を給与と相殺しないと決めている
- 就業規則に研修費の負担の原則と貸付の扱いを書き、入社時に説明している
よくある質問
入社時に「3年以内に辞めたら研修費30万円を払う」という誓約書に署名してもらいました。有効ですか?
店の業務としての研修について、辞めたら決まった額を払う約束は労働基準法第16条の違約金にあたり、無効と判断される可能性が高いです。本人の署名があっても、それだけで有効にはなりません。条項を撤回する通知を出しておくと、後のもめごとを防げます。
アシスタントの練習用ウィッグ代を本人負担にできますか?
店の指示で行う練習に使うものは、店が負担するのが原則です。本人に負担させる場合は就業規則にその内容を定める必要があり(労働基準法第89条第5号)、給与から差し引くには労使協定が要ります。
外部講習の費用を貸していたスタッフが辞めました。最後の給与から差し引けますか?
一方的に差し引くことはできません。賃金は全額払いが原則で(労働基準法第24条)、返済は契約書で決めた方法で給与とは別に求めます。分割の相談には契約の範囲で応じます。
返還額に、研修中に払った給与を含めてもよいですか?
含めないでください。研修中の給与は働いた時間に対する賃金で、返還を求めれば違約金と同じ働きをします。返還の対象は、外部に払った受講料などの実費にとどめます。
返済を免除するまでの期間は、何年までなら問題ありませんか?
法律に決まった年数はなく、講習の内容や金額との釣り合い、本人の退職の自由をどこまで縛るかで個別に判断されます。期間が長いほど足止めと見られやすいため、契約前に社会保険労務士や弁護士に確認してください。
店の技術試験に向けた講習を外部の講師に頼んでいます。この費用は返還の対象にできますか?
店が受けさせる技術カリキュラムの一部として外部の講師に頼んでいるなら、店の業務としての教育にあたり、返還を求めるのは難しいと考えてください。講師が外部か店内かではなく、受講が店の指示によるかどうかで判断されます。
出典:労働基準法第16条・第17条・第24条・第89条(e-Gov法令検索「労働基準法」)、最低賃金法第4条(e-Gov法令検索「最低賃金法」)、民事訴訟法第368条(e-Gov法令検索「民事訴訟法」)、研修費用の返還の判断要素(福島県の労働相談Q&A(研修費用の返還))、サロン・ド・リリー講習手数料請求事件(裁判所「裁判例情報」)。個別の判断は社会保険労務士、弁護士、都道府県労働局の総合労働相談コーナーに確認してください。
まず、今ある誓約書や雇用契約書に「辞めたら返す」条項がないかを確認し、あれば撤回の通知を出すことから始めてください。返還に頼らず、育成の仕組みそのもので定着を高める方法はスタッフ教育・育成のやり方で解説しています。
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